有隣寺だより
有隣寺だより 51号 令和5年1月
有隣寺便り 51号 令和5年(2023年)1月 有隣寺住職 祖父江佳乃
『はじまる いまから ここから』
願いも、思いも、希望も、始めなければ、次は見えない。だから、一歩を踏み出す。もう一歩だろうが、あと一歩だろうが、それが最後の一歩だとしても、最初の一歩がなければ、次の景色は見えない。だから、ここから、いまから、はじめる。その思いがあれば、その一歩があれば、必ず、『始まる。今から、此処から』
お変わりありませんか。旧年中はお世話になりました。本年もよろしくお願いいたします。
コロナウイルスという言葉を耳にして、3年が過ぎました。石の上にも三年という言葉があります。どんなにつらくとも辛抱していれば、やがて何らかの変化があって好転の芽が出てくる。これは、達磨大師が寺院の裏にある洞窟で岩壁に向き合いながら悟りを開いたことを由来とする諺です。これまでの三年間、皆さんは何を感じましたか。我慢を強いられた期間から見えてきたこと、それは、一歩を踏み出さなければ、次の世界は見えてこないということ。大きな夢も、小さな希望も、叶えるためには、雨垂れのような小さな歩みでいいから一歩を踏み出さなければ始まらないということ。この三年は自身と向き合う、自身を見つめる三年だったから、今からここから、一歩を踏み出し、次の景色を見に行きましょう。
二河白道
ある旅人が、無人の荒野を西に向かって進んでいくと、その道が火と水の二つの河に挟まれました。後ろからは群賊、野獣が襲ってきます。行くも還るも止まるも死を逃れえません。しかし、思い切って白道を進んでいこうと思った時、東の岸から「この道をたずねて行け」と勧める声が聞こえます。また、西の岸から「こちらを目掛けて進みなさい」と呼ぶ声がしました。旅人は一心に疑いなく進むと西岸に到着し、仏となりました。
火河は、私たちの、怒り、腹立ちです。水河は尽きない欲望です。東の岸は迷いの娑婆世界、西の岸は極楽世界を例えています。そして、白道は浄土往生を願う心です。
阿弥陀様がおいでの西の岸に向かって白い道を歩くのが、私たちの人生です。怒り妬み嫉み恨みそして、もっともっとという貪りの間を丁寧に極楽浄土に向かって歩きます。東の岸から声をかけてくださるのは、私たちより先にこの道を歩まれたお釈迦様です。
どんな時でも、いかなる時にも阿弥陀様は私を迎えてくださり、お釈迦様は私の背中を押してくださいます。
仏教の教えはそれをいただいたからといって、世の中が輝くものではありません。あなた自身が輝く存在なのだといただく教えです。誰と変わること、変えることのできないあなただから、その命は輝いているのです。
令和5年有隣寺法要・行事予定
報恩講(親鸞様にありがとうを伝える日)
2月18日土曜日有隣寺徳風幼児園子ども報恩講(親鸞様にありがとうを伝える日)
2月19日日曜日午前10時お勤め開始(コロナにより、今年も午前のみの法要です。ですが、お勤め、仏教讃歌、法話と、阿弥陀様の本願を一生涯かけてお伝えくださった
親鸞様のご遺徳を偲びながら自身の命を見つめます。)
お勤め 貞信寺柴田信昌師 仏様の歌とお話し 徳永寺平等良香師(伴奏 吉川純子師)
法話 西照寺日野直師
おみがき・幕張等報恩講準備 2月17日金曜日9時半から
皆様のご懇志で成り立つ報恩講です。ご協力お願いいたします。
春の彼岸会・永代経法要 3月18日土曜日(令和4年に西帰された方の追弔会も厳修します)
親鸞聖人誕生850年誕生法要(東本願寺団体参拝)4月8日土曜日有隣寺からバスで日帰り参拝に出かけます。お申し込みください。
省念忌説教大会5月21日日曜日9時半お勤め開始
おみがき・幕張等準備5月19日金曜日
秋の彼岸会・永代経法要9月16日土曜日10時お勤め開始
白蓮会(仏教の話をわかり易くみんなでワイワイと行事のない22日)1月22日日曜日・
4月22日土曜日・6月(新潟でのお説教が入っているため、後日お知らせします)
7月22日土曜日・10月22日日曜日・11月(本山報恩講のため、後日お知らせします)
年忌(ご法事の日時は早めにお寺にご相談ください)
令和4(2022)年 1周忌
令和3(2021)年 3回忌
平成29(2017)年 7回忌
平成23(2011)年 13回忌
平成19(2007)年 17回忌
平成13(2001)年 23回忌
平成9(1997)年 27回忌
平成3(1991)年 33回忌
昭和62(1987)年 37回忌
昭和49(1974)年 50回忌
令和4年 夏 50号
有隣寺便り 50号 2022(令和4年)年 夏 文責 有隣寺住職 祖父江佳乃
令和4年 4月 第49号
有隣寺便り 第49号 令和4年4月 有隣寺住職 祖父江佳乃
散りゆく桜を追いかけるように様々な花が咲き誇る季節に成りました。お変わりあいませんか。
生老病死 散りゆく桜の季節です。散っていくのに桜は咲きます。そして、人間も死を迎えるというのに生まれます。命を宿り、死に至るまでを人生と呼びます。お釈迦様は人生の避けられない苦しみを「生老病死」とおっしゃいました。老病死は言わずもがな、「老いること」それは歳をとる。年をとって心身の動きが衰えることを指します。
「病になる」は体を悪くする。患う。気分(精神)が悪くなる。事を指します。そして「死」は生命がなくなること=死亡、機能を果たせず能力を行使できない状態を指します。
それでは「生まれる」苦しみとは何でしょう。
生まれる 考えてみてください。思い出してみてください。あなたの一番最初。あなたが「いのち」を頂いた場所はどこだったか。あなたの「いのち」はどこで誕生したか。それは、お母さんのお腹の中です。精子と卵子が結びつきいのちが誕生します。それを妊娠と呼びますが、それはお母さんのお腹の中で起こります。ということは、間違いなく、命は母親のお腹の中で始まりを迎えます。そして十月十日、母親の胎内で、大切に大切に育てられ…。
誕生、たった一人でこの世に出ます。それを「生まれる」と呼びます。生まれるとは、それまで一緒いいた母親と別れることです。人間は生まれると同時に「別れ」を経験します。そのことをお釈迦様は人生の避けられない苦しみであり、人生の一番最初の苦しみとおっしゃいました。人生の一番最初に「母と別れる」大きな別れを経験しているから、先々に起こる別れを乗り越えていけるのです。別れの前には必ず「出遇い」があります。仏教では、その場で顔を合わせる・対面する・会見するという意味を持つ「会う」という字は用いずに沢山の沢山の偶然がやっと重なって、やっと遇えた意味を持つ「遇う」という字を用います。
育つ 「育つ」という字をよくよくご覧になってください。その中には「月」という字が含まれています。月は自分で輝くことができません。太陽の光を反射し、輝いています。人間も同じです。他者との出遇いによって光り輝きます。「生まれる」ことは母親のお腹から、たった一人、世間に身をおくことだけれど、人との出遇いによって人は育っていくのです。
天上天下唯我独尊 そして、その生まれた自身のことをお釈迦様は「天上天下唯我独尊てんじょうてんげゆいがどくそん」とおっしゃいました。お釈迦様はお生まれになってすぐ、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天という六道輪廻(何度も繰り返し、さまよい続けること)から解き放たれ、七歩、お歩きになり、天と地を指してこの言葉をおっしゃいました。それは、「天にも、地にも、私という人間は一人しかいない。誰と代わること、代えることの出来ない尊い命を私は頂いている。だから、私と同じように、目の前の人間も、横にいる人間も、命あるもの全て、代わること変えることが出来ない尊い存在だ。」という、生まれたこと、生きていくことへの尊い宣言です。
4月8日はお釈迦様のお誕生日です。
有隣寺徳風幼児園では、ひと月遅れで5月10日に、お釈迦様にお誕生を祝う『花まつり』を勤めます。
お花いっぱいの花御堂の中で天と地を指していらっしゃるお釈迦様に甘茶をかけて、ご一緒にお祝いください。
有隣寺開基釋省念 有隣寺の開基(寺を創始した僧侶)は祖父江省念です。
祖父江省念 1905ー1996 昭和―平成時代の僧 明治38年9月18日にち生まれ
幼児から浄土真宗の説教僧としての修行を積む。独特の節回しで親鸞聖人の一代記などを語り、自坊の名古屋市有隣寺のほか全国各地で最盛期には年間400回に及ぶ説教会を開いた。平成8年1月2日死去。「日本人名大辞典」
著書である『節談説教70年』には俳優の小沢昭一さんが「祖父江省念の説教は、まず人間生活の機微をうかがって聴衆を笑わせます。あの毒舌感覚は当代の人気者―タモリ、たけしレベルのナウさであります。 しかし、やがてそのお説教の譬喩因縁(ひゆいんねん)ばなしが佳境に入るにつれ、人々は目頭に涙をうかべます。寛美(藤山寛美)、久彌(森繁久彌)のお芝居のクライマックスに、優るとも劣りません。
そして最後に満堂の群参は祖父江師に手を合わせ、ナンマンダブを唱えつづけます。もう師を、身近なホトケサマにしようとしているようです。ここは芸能と違うところでありましょう。
説教から芸能が生まれたことは恐らくたしかでしょうが、説教は芸能ではありません。布教活動です。
しかし、芸能者の私は、祖父江師のお説教から、どんなに多くのものを学んだか知れません。
私もまた、師に手を合わせます。」
このように、有隣寺開基省念は、「最高にして最後の説教使」と小沢昭一さん、永六輔さんから賞賛されました。ですが、この有隣寺を担わせていただいている私の役目は、省念を「最後の説教使」にしないことです。そのお役目の一つが省念忌説教大会です。早いもので12回目を迎えます。けれど本来なら今年は14回目。コロナウイルス感染予防の観点から2年お休みをしていましたが、今年は午前のみですが、再開いたします。もちろん、感染予防に充分、留意いたします。どなた様もようこそお参りください。
省念忌説教大会
5月15日日曜日 お勤め開始9時半より
省念忌に向けての仏具磨きとお掃除5月13日9時半から お手伝いをお願いいたします。
白蓮会
行事のない月の22日(時々20日や21日に変更します)には、仏教のこと、あれこれ学ぶ白蓮会を開催しています。会の初めには有隣寺徳風幼児園の年長組の子ども達と一緒にお勤め=お経のお稽古をします。子ども達は身内ではない大人に褒められたり、教えられることで自信が身につき、自己肯定感が生まれます。大人達も子どもに伝えるために、丁寧に丁寧にお勤めをし、出遇ったもの同士が、ともに育ち合うことを実感します。
お念珠の扱い方、お焼香の仕方、法事やお葬式はなぜするのか、仏様のこと、そのほか色々
気軽にご参加ください。1時半からお勤めします。
みんなのお寺
有隣寺は、みんなのお寺です。本堂にいらっしゃる御本尊(最も大切な、教えの中心になる仏様)の阿弥陀如来様は、どんなものでも(怒っていようが、泣いていようが、人を傷つけていようが、浅ましい心を持っていようが、笑っていようが、喜んでいようが)その身そのままを引き受けてくださる仏様です。コロナ禍でしんどくなったり、子育てや、日々の生活の中、息苦しさ、生き苦しさを感じたら、どうぞ本堂にお越しください。手を合わせた後、大きく深呼吸してみてください。そこに身を置いて、静かに仏様と向き合うと少し楽になるはずです。もちろん、嬉しいことや楽しいことの報告も・・・。ようこそ。ようこそ。
令和4年 1月 第48号
有隣寺便り第48号 令和4年1月 文責 有隣寺住職 祖父江佳乃
寒中お見舞い申し上げます。冷たい日が続きます。御変わりありませんか。
「心で生きる」
1月2日は有隣寺開基祖父江省念の命日です。今から26年前の1月2日、家族みんなで、修正会のお勤めをして・・・。前日の1月1日は12月に説教した、滋賀県長浜からの大好物、鴨鍋を御同行も交えてたらふくに食したにもかかわらず、翌朝、修正会後のお雑煮は必ず4つのお餅。章子の炊いた黒豆、好物の昆布巻き「あやちゃんの作るお節はいつも美味しいな」と顔いっぱいの笑顔。私のお腹をさすりながら「今年は、曽孫の顔が見れる。産まれたら、お風呂はわしが入れてやる。よっちゃんが生まれた時、じい様にさせてもらったと喜んで、今度はよっちゃんの子に、ひいじい様にさせてもらえる。こんな嬉しいことは無い。ありがとうな。ありがとうな。」
その後、戻った部屋に、御抹茶の準備ができましたよ。と、有隣寺三姉妹次女の尚乃が大晦日にあつらえた花びら餅を持っていったら・・・部屋中に響き渡る大きないびきの真ん中に、ガクンと横になって、長火鉢の炭が赤く赤くそいの頬を照らしていました。柔らかい優しいその顔の前で
「おじいちゃん。おじいちゃん。おじいちゃん」
家族みんなが集まって、何度も何度も
「おじいちゃん。おじいちゃん。おじいちゃん」
何度読んでも返事が返らなくて 何度読んでも声はかえらず 何度読んでも優しい顔のまんまで
溢れるような笑顔なのに
「おじいちゃん。おじいちゃん。おじいちゃん」
呼ぶ毎に、みんなの目から涙が溢れて。
あれから、26年、佳乃尚乃朋乃、三姉妹それぞれ子供が産まれて、「お浄土の方が賑やか」というほどに有隣寺二世照道も尚乃も、お浄土から、おじいちゃんと一緒に願ってくれる存在になった。
そこから見た有隣寺はどんな風に映っていますか。そこから見た私はどんな姿に見えますか。
もう一度、頭を撫でて欲しくて。もう一度、その柔らかな手を握りたくて。もう一度、その鍛えられた声が聞きたくて。
温かさの経験があるから、この先も歩んでいけるけれど、本当に欲しいのは、体温からのぬくもり。
何時も笑顔だったみんなのおじいちゃん。今年は27回忌。2月19日午後13時よりつとめます。寿ぎ笑う。生きていたら118歳。
有隣寺今年最初の言葉は「心で生きる」年末に大阪西成を拠点に活動されている「SHINNGO
☆西成」さんとおしゃべりした際にいただいた言葉。
あの時、置き去りにした心。あの時に忘れようとした心。あの時からつかもうとした心。
今から ここから。
ここから 今から。
年末に素敵な出遇いがありました。SHINNGO☆西成さん。言葉を大事にし、言葉で大事を伝えていらっしゃるミュージシャンです。言葉も持つ、優しさ、強さ、温もり、力、可能性。19日に7枚目のアルバム『独立宣言日』を出されました。是非お聴き下さい。
有隣寺報恩講
報恩講は、親鸞聖人の御命日にあたり、聖人の御遺徳を偲ぶ一番大切なお仏事です。
どなた様もお参りください。
2月19日土曜日 10時から 有隣寺徳風幼児園 子ども報恩講
13時から 有隣寺開基省念27回忌法要 光徳院釋尼尚喜3回忌法要
説教 新潟県往生人舎 今泉温資先生
20日日曜日 10時から 有隣寺報恩講 (午前のみ)
説教 大阪教区光照寺 墨林浩先生
お手伝い、よろしくお願いいたします
17日木曜日 9時半より 報恩講準備 おみがき お掃除
18日金曜日 9時半より 報恩講準備 おみがき お掃除
御懇志の封筒を同封させていただきます。「親鸞様にありがとうを伝える」お同行皆様の報恩講です。よろしくお計らいください。
新型コロナウィルスの猛憂はなかなか治らず、各地で沢山の行事が中止を余儀なくされています。
仕方のないことですが、このままだと、「継承」「伝える事」が出来なくなってしまいます。伝統行事と呼ばれるものでも、何年も開催されなくなると、その手順を知る人がいなくなり、再開されても、元のようには行かなくなります。浄土真宗において、お寺での法要、行事は御念仏をいただく仏様のお仏事です。有隣寺では、感染予防に十分留意し、粛々と法座を重ねて参ります。
年忌のご案内
一周忌 令和3年 2021年 亡くなった人は、その身をもって、
三回忌 令和2年 2020年 生きとし生けるものは、必ず命を終えていく無常を
七回忌 平成28年 2016年 教えてくださいます。年忌法要(法事)を勤める事は、
十三回忌 平成22年 2010年 亡き人に想いをよせ、自身の「生きている今」を
十七回忌 平成18年 2006年 見つめなおし、自身の命に出遇う大事な機会をいただ
二十三回忌 平成12年 2000年 く事です。そして、亡き人は仏となって私のことを願
二十七回忌 平成8年 1996年 ってくださる存在であると確認する事です。
三十三回忌 平成2年 1990年 亡き人を想う私は、亡き人から願われている私です。
三十七回忌 昭和61年 1986年
五十回忌 昭和48年 1973年
出遇い
会う、合う、逢う、遭う、遇う これら全て「あう」と読みます。会うは、人がたくさん集まる様子を表します。合うは、鍋に蓋がピッタリ会う形を表し、逢うは対面すること、遭うは好ましくないことに巻き込まれる。遇うは、たまたま遇う。偶然と同じ意味があります。親鸞聖人は、この「遇う」という字を用いて「出遇う」とおっしゃいます。これは、偶然と偶然が重なりあい、やっと、やっとあえた。そしてそれは偶然だけど、必然だった。という意味です。たった一人との出遇いが人生に大きな意味を持つ、自身の考えや、概念が根底から変わるような出遇い。楽しさから生まれる事もあるが、悲しみの中、苦しみの中にも、出遇いがある。人生とは出遇いの連続。別れにも出遇いがある。仏教は出遇いの宗教です。他に出遇い、自己を知る。知るとは出遇い。出遇いの尊さを大事に。
※ 印刷をされる場合は、こちらの「PDFファイル」をクリックして印刷して下さい。
2021年 7月 第47号
有隣寺便り第47号 2021年7月 文責 有隣寺住職 祖父江佳乃
蒸し蒸しと暑い日が続きます。お変わりありませんか。
「懐かしさになるには、まだまだ、喪った悲しみが癒えなくて、その悲しみの上に、寂しさが上乗せされて、無常とは無情であると感じています。」
2021年が半分過ぎ去りました。半年間の間に有隣寺も御門徒さんの御葬儀を幾つかお取り次ぎさせて頂きました。大事な人との別れは、厳しく、悲しく、切なく、この先の不安を生み出します。だからこそ、その場に居合せ、葬儀という大事な儀式を執行させていただく寺・僧侶の役目は重大であると認識していたす。僧侶の資格を頂いたとき、先代住職であった父に「葬儀で導師を勤める者は、終わるまで、泣いてはいかん。お浄土へ送るという役目を終えるその時まで、涙を流さず、精一杯にお経をいただき、儀式を執り行いなさい。還骨のお勤めが終わり、衣を脱いだら、初めて、悲しさに身を浸らせなさい。それまでは、お役をしっかりこなしなさい」と教えられました。
葬儀
葬儀でのお勤めは、枕勤めから始まり、通夜、葬場、火屋、還骨となります。
有隣寺では、連絡を頂いて、仏となったそのお方と、対面し、「枕経」をお勤めします。人間は心臓が止まっても、聴覚はその後24時間、聞こえ続けると言われています。亡くなった方へ「仏となったのですよ。極楽浄土へ行くのですよ」とお伝えし、残されたものが、「この方は、極楽浄土へお帰りになり、私たちを照らす存在になられた事」と確信する為、阿弥陀様の極楽浄土をしるした『仏説阿弥陀経』をよみます。その後、納棺、通夜へと続きます。通夜は、近親者や有縁の人々が、仏前に集いつとめて、夜を通して偲ぶ儀式です。生活環境の変化で、「夜を通して」つとめることは難しくなりました。ですが、故人の生前の厚情を偲びつつ、遺された人が共に、「阿弥陀様に帰依し、仏となる」事を頂き、報恩感謝を、出来るだけの時間、共有します。葬場では、仏の教えが示され、故人を通して、それぞれが仏縁に出遇う法縁のお勤めです。故人の息を引き取る。そのお方が、私に教えてくださった大事を引き継いでいく、引き受けていく事を約束します。火屋は火葬前のお勤め、還骨は遺骨を御本尊の前に安置して勤めます。
葬儀は「亡くなった人の冥福を祈り、天国へ送り出す儀式」と理解されているかもしれませんが、浄土真宗では亡くなった人は「阿弥陀様の浄土に生まれて仏となり、迷いの世界にいる遺された人々に仏の教えを伝え、迷いから救う」という教えです。亡くなった方を偲び、感謝の気持ちを表すとともに、仏の教えをいただき、いつか自分にも訪れる死を受け止め、必ず、阿弥陀様のお浄土で、また再会できること=「倶会一処」のご縁をいただく儀式です。
その仏事を執り行うのが僧侶の役目です。泣いていては、儀式執行ができません。全てのお勤めが終わり、衣の脱ぎ、御袈裟を解いてから、初めて泣くことを許されるのが、導師を勤めるも者の心得です。が、まだまだ、どうして、私をお育てくださった方の死に向き合うのはとてもしんどく、お役目だけを熟すのは至難です。沢山の葬儀を執行していても、慣れることなどありません。ただただ、精一杯に声を出しお勤めしています
お盆のお勤め
住職でもあり、園長でもある私は職域接種の実施に伴い8月頭に2回のワクチン接種を完了します。が、人と人との接触機会を7割減らすよう、政府より呼びかけられています。8月13、14、15日にお参りが集中するお盆ですが、感染防止対策の観点から、その3日間に拘らず、新暦である、7月(明治5年に新暦が導入されるまで、お盆は旧暦の7月15日でした。)から御盆経を勤めさせていただいております。御勤めがご希望の方は、有隣寺にご連絡ください。8月13、14、15日をご希望の方はお時間の約束は出来かねます。ご理解ください。
経常費のお礼とお願い
本山よりご依頼の2020年度経常費は、皆様のご協力のお陰で、完納させて頂きました。
7月1日より2021年度のご依頼が始まりました。本年度も、寺院維持費・本山門徒会費として皆様にお願いする事でございます。寺院維持費・門徒会費と親鸞聖人誕生八五〇年・立教開宗八〇〇年慶讃法要費、合わせて一万円を納入ください。
有隣寺の屋根の破風板に下がる飾り(=懸魚げぎょと呼びます。)が老朽化に伴い、剥がれてきました。コンクリート製ですので、落ちて大事になる前に、全て撤去しました。少し寂しい気もしますが、リスクを考えて仕方のないことです。ご理解ください。撤去費用は寺院維持費から賄います。宗祖親鸞聖人御誕生八百五十年・立教開宗八百年慶讃法要とは、親鸞聖人の御誕生を祝い、浄土真宗が開かれたことに感謝する法要です。東本願寺では、2023年3月25日から4月14日まで厳修されます。(有隣寺団体参拝予定日4月8日日曜日)
『感動する仏教』
日本を代表する12宗派の宗祖の教えが優しくわかる全12巻のCDがユーキャンから販売されました。7巻、浄土真宗は私、有隣寺住職祖父江佳乃が担当させていただいております。四天王寺の執事勧学部長や、唐招提寺の長老に混じり、大役を勤める事ができたのは、私をお育てくださる皆様のお陰と感謝しております。お聞きいただけたら、幸いです。
『名古屋御坊』
名古屋別院から発刊されている機関誌『名古屋御坊』に有隣寺の省念忌説教大会の記事が
お寺の活動として紹介されました。ともに生きともに育ち合うお寺として、御同行の皆さんと歩んでいる結果と自負しております。これからも有隣寺をよろしくお願いいたします。
行事(コロナウイルス感染症緊急事態宣言等の発令により変更になる場合があります。)
秋の彼岸会・永代経 9月18日土曜日10時より
御みがき 9月16日9時半より
白蓮会 行事のない月の22日 13時半から 仏教の話をわかりやく、優しく
どなたでも参加できます