省念忌説教大会
第13回 省念忌説教大会
祖父江省念 1905ー1996 昭和―平成時代の僧 明治38年9月18日にち生まれ
幼児から浄土真宗の説教僧としての修行を積む。独特の節回しで親鸞聖人の一代記などを語り、自坊の名古屋市有隣寺のほか全国各地で最盛期には年間400回に及ぶ説教会を開いた。平成8年1月2日死去。「日本人名大辞典」
著書である『節談説教70年』には俳優の小沢昭一さんが「祖父江省念の説教は、まず人間生活の機微をうかがって聴衆を笑わせます。あの毒舌感覚は当代の人気者―タモリ、たけしレベルのナウさであります。 しかし、やがてそのお説教の譬喩因縁(ひゆいんねん)ばなしが佳境に入るにつれ、人々は目頭に涙をうかべます。寛美(藤山寛美)、久彌(森繁久彌)のお芝居のクライマックスに、優るとも劣りません。
そして最後に満堂の群参は祖父江師に手を合わせ、ナンマンダブを唱えつづけます。もう師を、身近なホトケサマにしようとしているようです。ここは芸能と違うところでありましょう。
説教から芸能が生まれたことは恐らくたしかでしょうが、説教は芸能ではありません。布教活動です。
しかし、芸能者の私は、祖父江師のお説教から、どんなに多くのものを学んだか知れません。私もまた、師に手を合わせます。」
このように、有隣寺開基省念は、「最高にして最後の説教使」と小沢昭一さん、永六輔さんから賞賛されました。ですが、この有隣寺を担わせていただいている私の役目は、省念を「最後の説教使」にしないことです。
ずっと大好きで
ずっと憧れて
そうなりたいと願った
願った瞬間から
その偉大さに初めてきづいて距離ができた
その距離を埋めるには
聞け 書け 語れ
背中が見えなくなるけれど
背中を追い続けるのが私の生業
きをせくな
とわかっていても
焦る
落ちる
自分の情けなさに憤る
だから
一歩
それが、
あと一歩でも
もう一歩でも
最後の一歩になるまで
歩くしかない
背中は中々見えないけれど
その懐に抱かれづつけた温もりがあるから
大丈夫
そのお役目の一つが省念忌説教大会です。早いもので13回目
どなた様もようこそお参りください。
有隣寺住職 祖父江 佳乃