お知らせ
2020年02月16日(日)
有隣寺報恩講のご案内とご挨拶
親鸞様にありがとうを伝える日
有隣寺三姉妹 次女 尚乃の葬儀に際して、ありがとうございました。
有隣寺三姉妹
次女
尚乃、2月4日に西帰しました。
佳乃
尚乃
朋乃
三人の名前が書かれた表札は芸者の置屋みたいで、女ばかり賑やかに育ってきました。
はたから見たら華やかな三姉妹でした。けれど、一人一人、当たり前に色々あって…
尚乃が癌を患ったのは中学二年生でした。
国から指定されている難病で、肋骨をはずし、腫瘍をとり、その後、胸に強い放射線をあてました。
もちろん、その際、髪は全部抜けて…
手術の前、このまま起きなかったらどうしよう と泣きました。
朝起きた時、今日を迎えることができた。ありがとう、その日から毎日、感謝をしていました。
奇跡的に助かった命が二十歳を迎えた時、命がつきても、誰かの中で生きたい と、臓器提供意思カードを持ちました。
二十歳を迎えることができないと医師からいわれたのに
結婚し、今、高1の息子もいます。
私自身
多感な時期に彼女の病を見て、ギリギリのいのちを味わっているはずなのに、元気になった彼女に慣れてしまい、病のことは忘れていました。
放射能の影響が30年たって、そして、また、癌が再発するなど考えも及びませんでした。
最初の手術前、このままだと、大人になれないと言われたのに…
人間は、慣れてしまう生き物で、今日が幸せだと、そのままずっと幸せだと、錯覚することを味わいました。
凡夫の話をしている私なのに…情けなさを思い知らされています。
その時、その時、新しく記憶が塗り替えられてしまうことは、当たり前かもしれません。けれど、過去は、終わっていませんでした。
身体が病に侵されていた事実と何十年も向き合ってきた尚乃はとても辛かったでしょう。
大事な息子と離れる悲しみは私の想像以上に間違いありません。
どうすることも
どうしてやることも
出来なかった私です
湯灌をすると、それまで、頑張り続けていた皮膚がはがれてしまうから、丁寧にお湯でふいてもらいました。
入院してから、お化粧も、お洒落をすることも、許されなかったから、病魔のせいでコケてしまった頬に綿を詰めてもらい、うぶ毛を剃って、白粉をはたいて口紅をさして、成人式に祖母が誂えてくれた真っ赤な友禅に袖をとおしました。
お雛様の様な
かぐや姫の様な
綺麗な
綺麗な
妹の姿です。
冷たくなった手を
離したくなくて
ずっと握って
本堂に行ったきり、なかなか戻って来なかった母が言いました。
「お父さんと
おじいちゃまと、
おばあさまと
みんなに
尚乃がそちらに行きます
よろしくお願いします
と頼んだから大丈夫
お浄土に帰るのだから」
帰したくない気持ちを整理していました。
7日に通夜をつとめ
8日に葬儀をだしました。
光徳院釈尼尚喜
三姉妹の子ども達三人
尚乃にとっての、息子広喜、姪っ子慈樹、甥っ子一琉、三人が、御導師明福寺高岡住職のはからいで、一緒に法名軸に筆で書き記しました。
法名も院号も導師に相談しながら、みんなで願いをもってつけました。
白いお骨になって
仏となった妹です。
今日は
親鸞様にありがとうを伝える日
報恩講です。
いつもの顔がみえないけれど
仏となった彼女は、祖父や父と一緒に、私達を間違いなく照らし、願ってくれています。
花瓶に尚乃の振袖と同じ色の赤い赤いダリアを入れました。
お荘厳として尚乃が私達を導いてくれています。
相変わらずの住職よっちゃんのムチャブリにみんなが付き合ってくださっています。
兼正寺の若様に、突然、お前座を勤めていただいたり…
その日にお願いすることばかりですが、心良く引き受けてくださる優しさに涙が溢れて
やっと
やっと泣くことが出来ました
ありがとう
ありがとう
ありがとう
親鸞様にありがとうを伝える日
報恩講
このあと
片付けして
おさらいのお勤めの後
尚乃の二七日を勤めます。
みんなで そして、
三月十四日、彼岸会永代経の後、満中陰忌明け法要をつとめます。
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