宗教法人 真宗大谷派 有隣寺

住職からの言葉

11年目の3月11日

住職からの言葉

倒れる轟音
ちぎれる悲鳴
唖然とする水の高さ

テレビをみながら
その場にいないのに
怖くて
うずくまった

毎日毎日
それが
映し出される度
茫然とした。

あれから11年

毎日映し出されていた景色は
その日だけしか
放映されなくなった

あの日を思い起こすことが
あの日を忘れないことだと
話をしながら…

気づく。

私は
「思い起こす」

けれど

忘れたくても
忘れることなどできない痛みを
あの日から
ずっとずっと
抱えている東北

「忘れてはいけない」
と言ってしまう私は
わざわざに
思い起こす傍観者だと
「忘れることなどできない」
と語る人から気づかされる。

そこに居なかったから
その場の痛みも知らないから
自分の傷みじゃないから
「忘れちゃいけない」と教訓じみた言葉を口にこぼしている…私

あの時を
忘れることなど出来ない人々は
あの時、涙を流すその前に
泣くより先に
兎に角
自分自身を守り
目の前にあるいのちを
守ることだけを
選択無く、強いられた

あの時
私は何をしていた?
あの日を
思い起こしながら
もう一度
思いを馳せる

それしかできないけど

あの日からの今日。
3月11日

忘れたい

忘れられない

忘れてはいけない

それぞれの今日

#震災
#忘れない

今の園

住職からの言葉

保護者の皆さんへ 
有隣寺住職 祖父江佳乃

息苦しいのにマスクで口や鼻を覆い被せ、触れ合うことや、集うことが許されなくなってから、もう、2年が過ぎようとしています。
お変わりありませんか?という言葉が、空々しいほど、マスクが常になっている世の中です。コロナ禍において、一番の大切である「命を守る」子育ては、本当に大変です。
明けない夜はないと知っているけど、この状態が永遠に続くなどありえないと分かっているけれど、開けるまでが辛くて、そこまでが長く、心が折れているのに、容赦無く次へ次へと捲し立てられる現実。間違いなく「大変」です。
それでも、限られた中で、必死に、子供の成長に必要な経験や、大事な育成を考え、闇の中から、希望の光を見つけ出そうと徳風幼児園は、踏ん張り続けます。
限られた中で考え続けることにより、工夫が生まれました。
「できた」「やれた」という小さな積み重ねから達成感もクラスのあちこちで生まれています。
こんな世の中だから、こんな世の中でも、一つ一つの営みを丁寧に、一歩一歩の歩みを成し遂げれるのは、子供たちに「命の大事さ」に教えられているからです。
そして、保護者の皆さんが徳風幼児園を暖かく見守ってくださっているからです。休園のお知らせをした際「大丈夫ですよ。連絡有難うございます」「先生方も大変ですね」とかけてくださったお声に、どれほど救われているか。どれほど励まされているか。マイナスを伝えることは申し訳なさが伴います。けれど、御自身のしんどさより先にお気遣いくださる優しさに感謝しています。言葉も持つ力を再確認しています。     
有難うございます。
有難うという言葉は、有ることが難しいとかきます。コロナ禍において、当たり前が、当たり前では無くなった。でもそのお陰で、当たり前は当たり前では無かった事を知ったのも事実です。
徳風幼児園は保護者の皆さんに「頑張ってください」とは言いません。この状況下で、これ以上どう頑張って良いのかわからないほど、頑張っていることを知っているからです。そしてそれが当たり前でなく、凄い事だと感じています。
 どんなことがあろうと、徳風幼児園は、ここにあります。どんな時でも、徳風幼児園はここにいます。
ここから、今から。今から、ここから。
そして、こんな時だから、伝え合いましょう。今の気持ち、今の御自身のこと。
優しさ、嬉しさ、温かさを言葉で伝え合いましょう。

言葉

住職からの言葉

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言葉

あなたの口からこぼれでる、たった一言に、
あなたの価値観、生きてきた道のりが見える。
だから、いつも、ちゃんとした言葉を
身に沁みさせなくては駄目。
一人で食事をいただくときも、手を合わせて、
「いただきます。」
あなたの言葉は
あなたそのもの

目を閉じて 耳を澄ます

住職からの言葉

「人の事に口を出さない」
他人様のことはよく知らない。
その人の本当は、その人にしかわからない。
軽い気持ちでとやかく言ってみたり、
自分が「感じるまま」に他人事に首を突っ込み行動することが、
人を傷つける原因になると、知っておかなきゃならない。
その人がみせる
喜怒哀楽の
裏側には
その人だけの事情がある。

色々があると
それから逃げるために
自分ではなく
他人に目がいく

だからこそ
一旦
全てのメディアを消して
目を閉じて
深く息を吸って
阻止
身体中の空気を吐き出す

徳風幼児園初代 祖父江逸子の戦争

住職からの言葉

終戦記念日、次の朝
録画しておいたNHKの『銃後のまもり』を観ながら
思い出した祖母のこと

「惨めったらしいのが一番嫌。戦争は、綺麗なものを綺麗と言うことも、美しいものを美しいと声に出すこともできなくなる。みんな、ドブネズミみたいな色に染められて、顔を上げることすら許されなくて、下向いて…頭下げて、ペコペコして…
惨めったらしい、戦争なんて大嫌いよ」とこの時期、その時の映像がテレビに出ると直ぐに消していた。

祖母は文学少女あがりで
西帰するまで、たくさんの本を読み、多くの作家に目を向けていた

谷崎潤一郎
私が
男を虜にする。という言葉を初めて覚えたのは谷崎潤一郎の『痴人の愛』
そのあと、お約束どおりに『細雪』を読んだ。
何時も、きゃあきゃあしている私達三姉妹は、大人になったら、
其々、恋をし色んなものを抱え、
自分の道を歩いて行くのだとなんだか切なくなった。
その『細雪』を読んでいる時、祖母が教えてくれた。

『細雪』は最初中央公論に発表されたの、でも、軍に戦争文学ではないと、連載を止められたの。戦争は、文学も美しい世界も綺麗な着物も奪うのよ。
お祖母様は戦争なんて大嫌い。

本を読み、知らない世界を想像する。本からの知識で世界を広げる。そのことすら、戦争は許さなかったことを祖母から教えてもらった。

「『細雪』が、戦後、婦人公論で連載を再開した時、祖母は戦争が終わったことを確信したの。やっと、たくさんの本が読める。やっと言葉が自由に使える」

言葉まで奪う戦争。

16日朝に。

画像(143x180)・拡大画像(511x640)

祖父江逸子 先生


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