住職からの言葉
11年目の3月11日
倒れる轟音
ちぎれる悲鳴
唖然とする水の高さ
テレビをみながら
その場にいないのに
怖くて
うずくまった
毎日毎日
それが
映し出される度
茫然とした。
あれから11年
毎日映し出されていた景色は
その日だけしか
放映されなくなった
あの日を思い起こすことが
あの日を忘れないことだと
話をしながら…
気づく。
私は
「思い起こす」
けれど
忘れたくても
忘れることなどできない痛みを
あの日から
ずっとずっと
抱えている東北
「忘れてはいけない」
と言ってしまう私は
わざわざに
思い起こす傍観者だと
「忘れることなどできない」
と語る人から気づかされる。
そこに居なかったから
その場の痛みも知らないから
自分の傷みじゃないから
「忘れちゃいけない」と教訓じみた言葉を口にこぼしている…私
あの時を
忘れることなど出来ない人々は
あの時、涙を流すその前に
泣くより先に
兎に角
自分自身を守り
目の前にあるいのちを
守ることだけを
選択無く、強いられた
あの時
私は何をしていた?
あの日を
思い起こしながら
もう一度
思いを馳せる
それしかできないけど
あの日からの今日。
3月11日
忘れたい
忘れられない
忘れてはいけない
それぞれの今日
#震災
#忘れない
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