有隣寺だより
2022年01月19日(水)
令和4年 1月 第48号
有隣寺便り第48号 令和4年1月 文責 有隣寺住職 祖父江佳乃
寒中お見舞い申し上げます。冷たい日が続きます。御変わりありませんか。
「心で生きる」
1月2日は有隣寺開基祖父江省念の命日です。今から26年前の1月2日、家族みんなで、修正会のお勤めをして・・・。前日の1月1日は12月に説教した、滋賀県長浜からの大好物、鴨鍋を御同行も交えてたらふくに食したにもかかわらず、翌朝、修正会後のお雑煮は必ず4つのお餅。章子の炊いた黒豆、好物の昆布巻き「あやちゃんの作るお節はいつも美味しいな」と顔いっぱいの笑顔。私のお腹をさすりながら「今年は、曽孫の顔が見れる。産まれたら、お風呂はわしが入れてやる。よっちゃんが生まれた時、じい様にさせてもらったと喜んで、今度はよっちゃんの子に、ひいじい様にさせてもらえる。こんな嬉しいことは無い。ありがとうな。ありがとうな。」
その後、戻った部屋に、御抹茶の準備ができましたよ。と、有隣寺三姉妹次女の尚乃が大晦日にあつらえた花びら餅を持っていったら・・・部屋中に響き渡る大きないびきの真ん中に、ガクンと横になって、長火鉢の炭が赤く赤くそいの頬を照らしていました。柔らかい優しいその顔の前で
「おじいちゃん。おじいちゃん。おじいちゃん」
家族みんなが集まって、何度も何度も
「おじいちゃん。おじいちゃん。おじいちゃん」
何度読んでも返事が返らなくて 何度読んでも声はかえらず 何度読んでも優しい顔のまんまで
溢れるような笑顔なのに
「おじいちゃん。おじいちゃん。おじいちゃん」
呼ぶ毎に、みんなの目から涙が溢れて。
あれから、26年、佳乃尚乃朋乃、三姉妹それぞれ子供が産まれて、「お浄土の方が賑やか」というほどに有隣寺二世照道も尚乃も、お浄土から、おじいちゃんと一緒に願ってくれる存在になった。
そこから見た有隣寺はどんな風に映っていますか。そこから見た私はどんな姿に見えますか。
もう一度、頭を撫でて欲しくて。もう一度、その柔らかな手を握りたくて。もう一度、その鍛えられた声が聞きたくて。
温かさの経験があるから、この先も歩んでいけるけれど、本当に欲しいのは、体温からのぬくもり。
何時も笑顔だったみんなのおじいちゃん。今年は27回忌。2月19日午後13時よりつとめます。寿ぎ笑う。生きていたら118歳。
有隣寺今年最初の言葉は「心で生きる」年末に大阪西成を拠点に活動されている「SHINNGO
☆西成」さんとおしゃべりした際にいただいた言葉。
あの時、置き去りにした心。あの時に忘れようとした心。あの時からつかもうとした心。
今から ここから。
ここから 今から。
年末に素敵な出遇いがありました。SHINNGO☆西成さん。言葉を大事にし、言葉で大事を伝えていらっしゃるミュージシャンです。言葉も持つ、優しさ、強さ、温もり、力、可能性。19日に7枚目のアルバム『独立宣言日』を出されました。是非お聴き下さい。
有隣寺報恩講
報恩講は、親鸞聖人の御命日にあたり、聖人の御遺徳を偲ぶ一番大切なお仏事です。
どなた様もお参りください。
2月19日土曜日 10時から 有隣寺徳風幼児園 子ども報恩講
13時から 有隣寺開基省念27回忌法要 光徳院釋尼尚喜3回忌法要
説教 新潟県往生人舎 今泉温資先生
20日日曜日 10時から 有隣寺報恩講 (午前のみ)
説教 大阪教区光照寺 墨林浩先生
お手伝い、よろしくお願いいたします
17日木曜日 9時半より 報恩講準備 おみがき お掃除
18日金曜日 9時半より 報恩講準備 おみがき お掃除
御懇志の封筒を同封させていただきます。「親鸞様にありがとうを伝える」お同行皆様の報恩講です。よろしくお計らいください。
新型コロナウィルスの猛憂はなかなか治らず、各地で沢山の行事が中止を余儀なくされています。
仕方のないことですが、このままだと、「継承」「伝える事」が出来なくなってしまいます。伝統行事と呼ばれるものでも、何年も開催されなくなると、その手順を知る人がいなくなり、再開されても、元のようには行かなくなります。浄土真宗において、お寺での法要、行事は御念仏をいただく仏様のお仏事です。有隣寺では、感染予防に十分留意し、粛々と法座を重ねて参ります。
年忌のご案内
一周忌 令和3年 2021年 亡くなった人は、その身をもって、
三回忌 令和2年 2020年 生きとし生けるものは、必ず命を終えていく無常を
七回忌 平成28年 2016年 教えてくださいます。年忌法要(法事)を勤める事は、
十三回忌 平成22年 2010年 亡き人に想いをよせ、自身の「生きている今」を
十七回忌 平成18年 2006年 見つめなおし、自身の命に出遇う大事な機会をいただ
二十三回忌 平成12年 2000年 く事です。そして、亡き人は仏となって私のことを願
二十七回忌 平成8年 1996年 ってくださる存在であると確認する事です。
三十三回忌 平成2年 1990年 亡き人を想う私は、亡き人から願われている私です。
三十七回忌 昭和61年 1986年
五十回忌 昭和48年 1973年
出遇い
会う、合う、逢う、遭う、遇う これら全て「あう」と読みます。会うは、人がたくさん集まる様子を表します。合うは、鍋に蓋がピッタリ会う形を表し、逢うは対面すること、遭うは好ましくないことに巻き込まれる。遇うは、たまたま遇う。偶然と同じ意味があります。親鸞聖人は、この「遇う」という字を用いて「出遇う」とおっしゃいます。これは、偶然と偶然が重なりあい、やっと、やっとあえた。そしてそれは偶然だけど、必然だった。という意味です。たった一人との出遇いが人生に大きな意味を持つ、自身の考えや、概念が根底から変わるような出遇い。楽しさから生まれる事もあるが、悲しみの中、苦しみの中にも、出遇いがある。人生とは出遇いの連続。別れにも出遇いがある。仏教は出遇いの宗教です。他に出遇い、自己を知る。知るとは出遇い。出遇いの尊さを大事に。
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