14回目の祥月命日
令和 3年 5月
みなさまへ
お空の色をした紫陽花が今か今かと咲き誇るのを待ちわびています。
今年、
省念忌を二年続けて、開催できなかったこと、お詫び申し上げます。ごめんなさい。
平成20年の今日、突然に父が西帰し、耐え難い辛さに対峙するには、今、自身ができることを一つ一つ丁寧にこなしていく事が最善と歩み始めた私です。
私が、初めて、説教を志す者として、登壇したのは、父が西帰する3ヶ月前、祖父の13回忌の年でした。大好きだった祖父、省念爺と同じ道を歩みたかった。でも、登壇した途端、大好きなおじいちゃまは、師匠に変わりました。「衣つけたら、出来ませんでは済まされん。お前様を見込んでの阿弥陀様のお願いじゃ」お得度したとき、省念爺が、私に渡してくれた言葉が痛く痛くのしかかり、その距離がどんどん遠のき、厳しい道を歩み始めた事に気付きました。その時に、突然、父が西帰したのです。父は、私の説教を一度も聞いたことはありません。
父の葬儀の際、たくさんたくさん泣きました。でも、それは、父がいなくなって寂しいとか悲しい涙ではなく、これから私はどうなるのだろう、有隣寺はどうなるのだろうと、見えぬ先への怖さと不安の涙でした。
その涙を拭うには、阿弥陀様のお実りを一生涯かけて伝えてくださった親鸞様の言葉を聞いていくほかありませんでした。その言葉をいっぱいいっぱい浴びることのできる日をもうけよう、そして、私の説教を父に聞いてもらおう。そう始めた省念忌説教大会です。私とともに歩んでくださる有隣寺のお同行は勿論ですが、この日を心待ちに楽しみにしている一番は私です。そして、大会の度に流れる私の涙は、祖父、父の大事な二人と再会をかわす喜びの涙になりました。
背中を伸ばし肩をいからせ、困難に負けてなるかと風を切る住職を、甘えたで、泣き虫のよっちゃんに戻してくださったのは、有隣寺の阿弥陀様と、そこに手をあわせてくださるみなさまです。
そのことに、ずっとずっと感謝しています。
ありがとうございます。
まだまだの私ですが、私が御浄土に帰って、おじいちゃまと、お父さんに「よくやった」と頭を撫でてもらうまで、続けてまいります。
だから
来年こそは
と願っています。
これからも、よろしく、お付き合いいただけたら、とても嬉しいです。
どうか、これからも、お育ていただきますよう、よろしくお願いいたします。
感謝をこめて
うれしく たのしく おごそかに
もう、25年も前、修練のとき、鈴木君代さんが、父からの手紙を届けてくれました。
佳乃へ
一つのことをやり遂げると、新しい風が吹いてくる。
新しい景色がみえてくる。
やり遂げなさい。
ちゃんと、みているから。
やり遂げた、お前のために
こいしを予約しておいた。励みに頑張りなさい
照道より
(こいしは、父が贔屓にしていたお肉屋さんです)
何の取り柄も無い私だから
みなさんにお育ていただきながら
ひとつひとつ。
これからも
よろしくお願いいたします。
有隣寺 佳乃
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